<食卓ものがたり>港町の「救世主」 今が旬 アンコウのどぶ汁(茨城県北茨城市)
2023年1月21日 07時19分
黒潮で北上した魚が親潮のプランクトンと出合う常磐(じょうばん)沖(茨城、福島県沖)。その豊かな漁場が育む「常磐もの」の冬の代表格がアンコウだ。産地の茨城県北端?北茨城市では、平潟(ひらかた)と大津の二つの漁港で同県の水揚げ量の半分を占める。
北茨城民宿組合長の武子能久(たけしよしひさ)さん(46)に、伝統の調理法「つるし切り」を見せてもらった。ぬるぬるしてまな板でさばくのが難しいため、下あごを金具につるし、出刃包丁で「七つ道具」と呼ばれるトモ(ヒレ)、皮、柳(やなぎ)肉(身)、エラ、肝、水袋(胃袋)、ヌノ(卵巣)を取っていく。祖父光男さん=故人=と父克栄さん(72)の姿を幼少期から見続けて身につけた技だ。
「東のアンコウ 西のフグ」と称される高級魚。水戸徳川家から将軍家に献上された記録がある。ただ、昭和初?中期には違ったようだ。底引き網にかかるアンコウは一樽(ひとたる)いくらの安い魚。「祖父によると、身は干物にして長野県に出荷し、身以外の不要なところは海に捨てていたそうです」
一九六六(昭和四十一)年に民宿まるみつ(平潟町)を始めた光男さんが冬の目玉として出したのが、地元の漁師が食べていた「どぶ汁」。水が貴重な船上で、肝を鍋で直接いり、アンコウと野菜から出る水だけでみそと煮込む。野趣あふれる味は評判を呼び、地域の民宿?旅館も提供し、味を競うようになった。
二〇一一年の東日本大震災。北茨城市は震度6弱の揺れと津波に襲われ、原発事故の風評被害もあり、まるみつの宿泊客数は一時ゼロに。一四年には光男さんが亡くなり、能久さんは「人生で初めて心の支柱が崩れた」。それでも「祖父が続けてきたアンコウの食文化を守り、広めたい」と一周忌の命日、宿の向かいに「あんこう研究所」を開設。肝を使ったラーメンやすき焼き、コラーゲン入り入浴剤などを商品化した。
二〇年以降は、コロナ禍でキャンセルが相次いだ。一方で海外出店の話が舞い込み、二二年末、香港の繁華街にアンコウ料理がメインの日本料理店を出せた。「いつもそばにいて、助けてくれているのがアンコウ。救世主ですね」。能久さんはしみじみ語った。
文?写真 神谷慶
◆味わう
アンコウは、雄より多く体も大きい雌が、春の産卵期に向けて栄養を蓄える今の時季が一番の旬。アンコウ鍋の原型と言える「どぶ汁」を宿泊客向けに提供している「まるみつ旅館」で、平潟産アンコウを材料に作ってもらうと=写真、新鮮な肝がたっぷり使われていて、臭みはなく「七つ道具」それぞれの味や食感が楽しめた。鍋いっぱいに広がる肝油のオレンジ色が鮮やかだった。この他の代表的な料理は、身や皮などを肝入りの酢みそに付けて食べる「供酢(ともず)」や唐揚げ、「あん肝ポン酢」など。
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